バッタンバン滞在記

バッタンバン滞在記

休学中の大学院生。カンボジアのバッタンバンで 認定NPO法人テラ・ルネッサンスのインターンをしています。 自身の備忘録も兼ねて、3ヶ月半の滞在期間中限定でNGOのお仕事、 バッタンバンの街について日記形式でご紹介します。

Day032_MAG事務所の訪問

今日は朝からシェムリアップからバッタンバンへ移動。 晴れの1日でした。

昨日夜に京都事務所からの職員さんを迎え、今日は職員さんの海外出張2日目です。 シェムリアップから、タクシーでバッタンバンに向かいました。

ちなみに、乗り合いタクシーは全員で37$。私達は3人で25$支払いました。途中でもう1人地元の方が乗ってきました。 Capitolのバスで行くと1人5ドルですが、5時間くらいかかるし、結局バス停までのトゥクトゥク代もかかったりするので、複数人いるならタクシーがお得のようです。3時間で到着しました。

今日は、提携団体である地雷撤去団体NGO,MAGの事務所を訪問させて頂きました。テラ・ルネッサンスは、カンボジアで地雷撤去を行うこのMAGに資金を提供することで、間接的に地雷撤去に貢献しています。プレゼン等もして頂いたので、その内容をまとめます。

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Q&Aが面白いので、お時間がないという方はぜひそちらだけでもお読みください😄

1. カンボジア略史

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事務所に並べられていた不発弾

1953年にフランスから独立したカンボジア。独立の父と呼ばれるシハヌークは1955年に首相に選任され、以来十数年の間、国を治めていました。しかし、1970年、シハヌークの北京外遊中に、アメリカに支援されたロン・ノルがクーデターを起こします。

当時、隣国ベトナムベトナム戦争の真っ最中でした。親米のロン・ノル政権は、アメリカがホーチミンルート(カンボジアを通過して北ベトナム軍が南ベトナムの地域にいる仲間に支援を供給していた経路)を断つため、カンボジア農村部への空爆を許容します。これによりカンボジア農村部から大量の難民が発生しました。

一方、クーデターで支配権を失ったシハヌークは、クメール・ルージュらと手を組んでロン・ノル政権の打倒に乗り出しました。

アメリカの空爆で国民の不満を買っていたロン・ノル政権は次第に力をなくし、1975年4月17日にクメール・ルージュに降伏。ここから、1979年にベトナム軍によってポル・ポト政権が倒されるまで、3年8ヶ月と20日間の悪夢が始まります。

ちなみに、現在のフン・セン首相は元々クメール・ルージュの地方下部組織の役人でした。彼は1978年ごろにクメール・ルージュ内での粛清が激しくなると、身の危険を感じてベトナムに逃走し、ベトナム軍とともにカンボジアに侵攻します。

ベトナム軍によってポル・ポトプノンペンから追放された後も、1998年まではタイ国境付近で戦いが続いていました。1983年から戦いの集結まで、ベトナム軍とクメール・ルージュの残党らが戦う中で、お互いの基地の回りや、水辺に多くの地雷を埋めました。

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こちらは地雷

1992年には国連のUNTACが入り、選挙が行われました。フン・センはラナ・リットというシハヌークの息子に破れますが、当時実行支配をしていたのはフン・センだったため、新政権は2人首相制でスタートしました。しかし、1997年にフン・センはラナ・リットを追放。以来現在まで独裁が続いています。

翌年1998年には、最後まで対立していたクメール・ルージュらが政府軍に吸収される形で長い戦いが終わりました。

2. MAGについて

2-1. MAG概要

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傷つけるのが目的、と語られることが多いけれど、鉄製の地雷の多くは殺害を目的としているという。

MAGは、1989年に立ち上がり、1992年からカンボジアで活動している地雷撤去団体です。ちょうど国連のUNTACが入った年から、ということになります。

プノンペンに本部を置きながら、西はパイリンやバッタンバン州、東はラタナキリ州までカンボジア全土で活動しています。CMACやHALO Trustなど、カンボジアには複数の地雷撤去団体がありますが、西部と東部どちらの地域も対象にして活動しているのはMAGだけです。カンボジア東部には先程の略史にあったように、ベトナム戦争中にアメリカによって落とされた不発弾が大量に残されています。

2-2. これまでの成果

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1992年から現在までに、7万7千個の地雷と、24万3千個の不発弾を撤去し、67,140,000平方メートルの土地を安全にしてきました。また、23万個の武器の回収を行っても来ました。直接の受益者は186万人に登るといいます。

同時に、啓発事業として地雷回避教育も行ってきました。これは、地雷を見つけた際の対処方法を住民に教育するプログラムです。

2018年だけでみると、7,729個の地雷や不発弾を撤去。撤去地域以外で単発で発見された地雷や不発弾878個を安全に処理しました。これによって、6.1キロ平方メートルの土地が安全に使用できるようになりました。また、撤去チーム派遣前の地雷原調査を97回、地雷回避教育を1402回行いました。

2-3. 組織編成

地雷探知機を使用して地雷を撤去する、地雷撤去チームは、1チームで11人で組織されます。11人のうち、8人が地雷撤去作業員、医療従事者が2人、チームリーダーが1人です。MAGは15チームの撤去チームを有しています。

撤去活動の前後には、地雷原の調査が行われます。撤去前には、村の方に過去に事故があった場所、地雷が発見された場所の聞き取り調査を行い、撤去活動を行う土地に優先順位をつけていきます。撤去後には、その土地を返還された人がそこでどれだけの利益を得ることができたかという調査を行います(例えば、収入は何からどれだけ得ることができるようになったかですとか、学校や水までのアクセスがどれだけ向上したかといったことを調査します。)調査は2人一組で行われ、現在MAGにはこの調査チームが7チームあります。

地雷や不発弾が発見されたという緊急の連絡を受けた際に、単発でそれだけを処理しにいく、爆発処理班も4チームあります。

テラ・ルネッサンスが支援しているのは、2名の操縦士と3名の撤去作業員を有する機械チームです。機械チームも7チームあります。テラ・ルネッサンスは、今年の4月から2019年の3月まで、地雷撤去のために木を伐採するMSUという機械の運営費・管理費を支援しています。

3. 撤去作業

倉庫で、実際に撤去作業に用いる機器の見学もさせてもらいました。

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こんな箱や機器が10㎡ほどの部屋にずらり。

作業は、どんなに暑い日でもこのようなチョッキを着て、ヘルメットを被って行われます。

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フィールドには、コントロールポイントという拠点が設けられ、撤去作業に必要な道具が持ち込まれます。一時間の作業をしたら、コントロールポイントで、必ず10分の休憩を取るそうです。

これが探知機。腕に装着します。持たせてもらいましたが、6kgほどあるので、結構重いです…。暑い中、チョッキを着て、これをずっと持って作業するのを想像するだけで、いかに大変な作業かが分かります。

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単なる鉄の破片と地雷とを見分けられる探知機と、見分けられない通常の探知機があります。破片が多い場所では性能のよい探知機を用います。

探知機で鉄の破片の反応が見られる部分には青いチップを置き、ドリルで取り除きます。地雷の反応があった場所には、赤いチップを置き、後ほど手で掘り返します。

探知機の反応がある15cm手前あたりから掘るそうです。掘っているときに地雷に衝撃を与えてしまってはいけないので、探知機できちんと地雷の中心を捉えておくことが大切だといいます。

こちらは地雷撤去の機械。地面から18cmまでを一気に掘り返ことができます。

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4. Q & A

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これは対戦車地雷

Q1. 働き方は週5日出勤+2日休み?
A1. 撤去チームは20日間連続で出勤し、10日休みというサイクル。これは、フィールドが遠いために週7日の通常のサイクルで回すと、作業員が休日の時間を十分に取れないため。移動に1日くらいかかってしまうので、土日休みだけでは家族と一緒に過ごす時間が全くなくなってしまう。また、移動コストを削減するためにも、このようなサイクルを採用している。

Q2. 事前調査から、実際に土地を返却するまでどのくらいの時間がかかるの?
A2. 土地の状況に大きく左右されるのでなんとも言えない。例えば、岩場や竹が生えている場所、金属の破片が多く埋まっている場所は時間がかかるし、そうでなければスムーズ。撤去スピードを言うならば、地雷探知機で撤去するチームは平均で1チーム、5㎡/1日の土地を作業する。機械チームであれば1日平均1,000㎡くらいの作業ができる(乾季なら1日で2,000㎡くらい行けるが、逆に雨季はほとんど作業できない日もあるため均すとそれくらいになる)。

Q3. カンボジア政府は2025年までにカンボジア全土の地雷を撤去するという目標を掲げているが、達成は可能なのか?
A3. 資金次第…。人件費と活動費がもっとあればもう少し早いペースで進めることができる。しかし、現在は地雷問題への関心も低下しており、資金繰りは厳しい状況にある。

Q4. 地雷撤去作業後は、どのように安全チェックを行うの?
A4. チェックは三段階で行われる。地雷原とされていた範囲で、作業員による作業が終了したら、まずはそのチームのリーダーがその範囲すべてを探知機で確認する。その後、その地域を管轄する事務所から派遣された方がランダムで面積の30%に当たる広さをチェックする。最後にプノンペン本部から派遣されたスーパーバイザーが、面積の10%に当たる広さをランダムにチェックし、問題がなければ住民に土地が返還される。どこかの段階で問題があれば、もう一度撤去作業チームへ差し戻される。

Q5. 作業中に事故が起こったことはないの?
A5. 過去5年を見ると、一回だけあり、一名のチームリーダーが失明をした。作業員が地雷を発見し、チームリーダーに報告した際、チームリーダーが来たそのときに、ちょうど地雷が突然爆発してしまった。基本的には厳格なマニュアルがあり作業員はそれに従って作業を行うし、作業中はチームリーダーが作業員を見張っているため、事故は起きない。

Q6. 撤去作業員は自団体でトレーニングしているの?
A6. 自団体でしている。パイリン近くに訓練所があり、作業員はそこで地雷のタイプや撤去作業時の安全距離等を学ぶ。人にもよるが、早ければ2週間で訓練は終了する。

Q7. 地雷を撤去する作業では、地中何センチまでを掘るの?
A7. 政府が定めている基準は、13cm。しかし、MAGは安全のため18cmという基準を独自に設けて作業している。地雷は人が手で埋めたものなので、それ以上の深さにあることはまずない。作業員が掘り返して地雷を撤去した場所は、チームリーダーが5箇所ほどランダムに選んで深さを測定し、作業員がマニュアルに沿って作業しているかを確認している。

職員さんと私とで質問攻めにしてしまったのですが、MAGの方はとても親切で一つひとつ丁寧にお答え下さいました。

本当にありがとうございました。

本日の出費(4000KHR ≒ 1.0USD)
  • 夜ご飯@カムリエンの行きつけの食堂:2.5USD
  • 携帯チャージ:2.0USD

ちなみに今日のお昼は駐在員さんのご自宅で、ご家族が作って下さった料理を頂きました。

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レストランと違って、余計なものが全く入っていません。カンボジアに来て食べた料理の中で群を抜いておいしかった。素材の味が活かされていて本当に美味しかったです…。

果物が豊富にあるので、料理にフルーツがたくさん使われます。このスープにもパパイヤが入っています。贅沢だ…。

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日本でいろんな化学調味料を使って料理をしている自分を反省しました。こんな風に自然にある素材の味を活かした料理を作りたい。素朴に美味しいものを食べると、こんなにも心が満たされるのだなあと知りました。