Day000_【初めて本ブログをお読み頂く方へ】ご挨拶と本ブログの目的
みなさん、はじめまして。現在バッタンバンでNPO法人テラ・ルネッサンスさんのインターンをさせて頂いている休学中の学生です。
自己紹介はこちらの記事に代えさせて頂きます。
本ブログは、
(1)NGO海外事業の仕事内容の具体的な記述
を第一義的な目的として運営します。よって、滞在期間中の約3ヶ月半のみ日記形式で更新予定です(帰国後に何かしらまとめたいと思うトピックがあれば、まとめ記事を書くかもしれませんが、今の所特に予定はありません)。
(1)を目的として運営する理由は、自分が日本に居た頃、駐在員さんがいう「事業を回している」というのは一体何をしているのかがよく分からず、もっと具体的に知りたいといつも思っていたからです。「MTGでは誰と何を決めているのか」「事務所長は今日どんな書類を作成していたのか」「村の方にはどれくらいの頻度でどのようにお話に行くのか」等々、NGO職員ってこんな仕事だよ!というトピックで説明される際には端折られがちな日常をありのままに発信していきます。
自分用の備忘録ではありますが、国際協力に関心があり、NGOやNPOで働くことを視野に入れている方、NGOでのインターンを希望される方の参考になれば…と思い、公開させて頂きます。ただし、本ブログに記載されますのは、あくまで認定NPO法人テラ・ルネッサンスのカンボジア事務所という、数あるNGO組織の事業の中の、一例でありますことを予めお断りしておきます。また、詳しい事業内容や事務所での生活については、テラ・ルネッサンス公式HPのブログ記事で執筆をしていく予定ですので、どうぞそちらも合わせてご覧下さい(随時リンクを貼ります)。
(1)に加えまして、
(2)バッタンバンでの生活情報(物価やカフェ、近隣観光地等)の発信
も、ゆるやかに行っていく予定です。私は好きな食べ物が出来たら一定期間それを偏食する傾向があるので、どれだけの場所を開拓できるかはわかりませんが(笑)これからバッタンバンに来られる方や長期で滞在予定の方が、天候、物価、治安、街の様子を確認する一資料としていただければ嬉しいです。特に、天気とその日の出費は毎日記録しますので、参考になれば幸いです。
※ 毎日の出費についての補足
カンボジアではUSD(ドル)、KHR(リエル、現地通貨)の両方が流通しています。1ドル約4000リエルです。
通常、お店では1.0USD = 4000KHRでやり取りされていますが、正確には1.0USD>4000KHRで、マーケットにある両替屋さんで10ドルを替えてもらうと、600リエルくらい余分に返ってきます。
(なので、長期滞在される方はこまめにリエルに両替するとよいみたいです。その街の大きなマーケットに行けば両替屋さんはだいたいあります。)
どちらかの通貨で統一して表記しようかとも思ったのですが、1.0ドルと4000リエルが等価ではないため、本記事では通貨表記を統一せず、それぞれの項目ごとに請求された通貨で表記することとします。つまり、リエルで請求された際の出費はリエルで、ドルで請求された際の出費はドルで書きます(私がどちらの通貨で払ったかに関係なく、ともかく請求された通貨で書きます)。一日の出費の中でリエルとドルの表記が混在しますが、ご了承下さいませ。
それでは、どうぞ宜しくお願い致します。
Day064_ビエンチャンからシェンクワンへ / ラオス事務所の始動
シェンクワン、1日晴れでした。
ビエンチャンからシェンクワンへ。寝台🚌の旅
昨日、ビエンチャンから夜行バスにのり、シェンクワンに無事到着しました。
宿泊していたホテルでバスの手配をしてもらうと、6時20分ごろにホテルまでピックアップに来てくれました。20時発のバスで、7時前にバス停に到着。
一人17500LAKでした。
途中、25時頃に休憩を挟んで、朝6時前にシェンクワンに無事到着しました。
シェンクワンの街
ゲストハウスに荷物を置いたら、少しだけ腹ごしらえ。朝のマーケットで米麺を食べました。麺も手作りのようです。
ラオスの料理は無駄な味がしなくて素朴においしい。カンボジアで手料理を食べさせてもらったときの味がしました。
午前は、駐在員さんは臨時総会。スカイプで参加していました。NPOなので、何かしら規約や組織体制等に変更がある場合には、総会が持たれます。
私は募金キャンペーンのメインビジュアル(写真)とメッセージ(写真に合わせるキャッチコピー)のたたき台を日本事務所に提出し、MTGで相談していました。
まだ周辺をあんまり散歩できていませんが、シェンクワン街並みはこんな感じです。道路が舗装されていないので埃っぽいです。
現在は静かで治安も良い街です。街の空気が落ち着いている感じがします。でも、何気なく爆弾がオブジェになっているのを見ると、その歴史にはっとさせられます。
ラオス事務所が本格始動
午後はゲストハウスでラオス事務所のスタッフと簡単に今週の打ち合わせをし、養蜂センター(兼事務所)へ。
テラ・ルネッサンスは、2008年より、不発弾撤去を進める団体への資金提供という形でラオスの不発弾の問題に関わってきました。昨年度からは、不発弾埋設地域に住む方の養蜂事業を新たに開始しています。
そのプロジェクトに伴って、今年の2月からスタッフを2名雇い、事務所も開設しました。明後日からは、新たに日本人職員が一人、駐在員として派遣され、本格的に事業を進めていきます。
事務所は元々交番だった場所を頂きました。9月末に引き渡されたばかりで、これからリフォームを始めます。今は机とプリンターがあるのみです。
意外と広くて裏側にも部屋がいっぱいありますが、さながら廃墟です。
二階もあります。
天井壊れてるけど。
新しい駐在員さんが進めて下さるリフォームに期待です。次に来れたときは、どうなっているんだろう。
午後のその後の時間は、スタッフさん、レシートの整理をしてくれていました。ラオス事業は助成金で実施させて頂いているので、報告書作成に詳細なレシートが必要になります。
今では2億円規模の団体となっているテラ・ルネッサンスですが、始めは創設者のアパートの一室から始まりました。京都も、佐賀も、ウガンダも、コンゴも、ブルンジも、カンボジアも、PCとプリンターひとつで事務所を立ち上げ、事業が作られてきたんだな、と思うと、大きくて手が届かないように見えることも、最初の最初は本当にできることから始まっていくのだなという気がします。
帰りに近くにあったMAG(地雷や不発弾の撤去団体)のビジターセンターにも寄りました。が、分量と内容の関係から、このお話は、また明日書きます。
本日の出費(8000LAK ≒ 1.0USD)
Day063_ビエンチャン巡り
ビエンチャン、1日晴れでした。
駐在員さんに明日は1日フリーと言われたので「自転車を借りて観光しよう、明日のMTGに向けてちょっと作業もしよう!」と昨晩色々調べて段取りをしていたのですが
朝、急遽、駐在員さんの現地のお友達が昼食に招待してくれることが決まり、大幅に計画変更となりました(笑)
一人で観光するより、ここで暮らしている方とお話できるほうが楽しいです。嬉しいハプニングがたくさん起こります(笑)
というわけで、トゥクトゥクでおでかけです。
ビエンチャン郊外で農業を営む方のお家にお邪魔しました
裏でやっている畑を見せて頂きました。農業で、食べていくには困らない分稼げるのだそうです。
お昼ご飯を用意してくださいました。先程見せて頂いた野菜が山盛りででてきました。
どれも結構ピリ辛な味付けです。ラオスではもち米が一般的で、かごから手でちぎって少しづつ食べます。もち米なので、カンボジアのお米とは違ってお腹にたまります。
ラオラオという地元のお酒(このお家で手作りしているもの)も頂きました。お米から作っている焼酎です。
コップを口元に近づけると目がちょっとしみるくらい強い。そして辛口。 ピリ辛料理と辛口のお酒で口がヒリヒリしました。
魚がほくほくでおいしかった。どの料理にも余計な調味料を使っていないので、素朴でとても美味しいです。
観光1:マーケット
今晩、夜行で向かうシェンクワンはもう肌寒いそうです。マーケットで冬服を仕入れます。 ちなみに、マーケットで両替をしたら8700kip=1.0USDでした。
中はこんな感じです。靴、洋服、シャンプー等の消耗品までなんでも売っています。所感ですが、カンボジアのマーケットより整然としている気がします。
観光2:ITEC(最近できた商業施設)
こちらは、最近(といっても3年前に)できたという新しい施設です。日本の商業施設と遜色ありません。
上の方はまだお店が入っていませんでした。
観光3:パトゥーサイ
内戦の戦没者慰霊のために作られた凱旋門です。建設途中で財政難となり、現在もまだ完成していないのだといいます。
仏像や絵がちょっと洋風で面白いです。
頂上から見た景色。
観光4:COPE Visitor Center
最後に、ラオスで不発弾被害者への支援を行うCOPEさんのビジターセンターに来ました。
テラ・ルネッサンスがラオスで支援を行っているのも、不発弾埋設地域に住む方々が、不発弾の事故に遭うリスクのある森を直接利用せず、収入を得て生きて行けるような自立支援をするためです。
あまり知られていませんが、ラオスは「世界で最も爆撃を受けた国」と言われています。
1963年から1974年の間に落とされた爆弾の数は少なくとも2万トン。これは、8分に1個のペースで、9年間爆弾を落とし続けられた数に相当します。そして、落とされた爆弾のうち、10〜30%が爆発していないと推定されています。
あまりに頻繁に見つかるため、村では、食器やアクセサリーに使用されているようです。しかし、観光客がこうした類の商品を買うことは、村人の不発弾収集を促進させ、新たな事故につながります。村で売られている不発弾を利用した商品に、安易に興味をもってはいけません、と注意書きがありました。
COPEは不発弾被害者やその他障害を持たれている方へ、義足の制作とリハビリ支援も行っています。支援の様子を描いたパネルや、様々な種類の義足、義手、義手の方が使いやすいアイテム等が展示されています。
別室でビデオを見ることもできました。上映時間が決まっているわけではなく、係の方に頼めば見せてもらえます。15分から60分弱に渡るビデオタイトルが10個ほどあり、好きなタイトルを選べます(混雑していなければ…!)。
これだけ見れて入場無料というのは驚きです。ありがたいです。
ラオスに残る不発弾の問題について、そしてそれへのテラ・ルネッサンスの関わりについては、また違う記事で書こうと思います。
色々案内をしてくださった駐在員さんのお知り合いに感謝です。
本日の出費(8000LAK ≒ 1.0USD)
- 冬服@マーケット:100000LAK
- 水1.5L@コンビニ:4000LAK
- 夜行バスチケット:175000LAK 夜ご飯は麺をごちそうになりました。ビエンチャンの方は観光客向けのおしゃれなお店が増え、地元の安くておいしいお店が減ってきているそうです。このお店は地元の人で賑わっていました。素朴でおいしい…。
Day061-062_ラオス、ビエンチャンへやって来た
昨日はあまりにただの作業日だったため、ひとまとめにして書くことにします。 ちなみに、昨日も今日(の午前)もバッタンバンは晴れでした。
昨日はずっと冬季募金関連で任せて頂いた作業をしていて、訳あってアフリカ事業、特にコンゴ事業について調べていました。
休学を決断するとき、背中を押してくれた直接のきっかけとは別に、休学をするに至る大元のきっかけになったのは、最近ノーベル賞受賞が決定したムクウェゲ医師でした。彼のドキュメンタリー映画「女を修理する男」を見て以来、どうしてもコンゴの紛争を無視してはいけない、という気持ちがずっと残っています。
ここにつらつらと私の進路云々を書くことはしないのですが、その問題に向き合うことを含め、やりたいことが3つあって、全てを網羅できそうな「職業」や「会社」は今のところ見つかっていません。
私、卒業後にどうやって御飯食べて行こう、つまりはこのやりたいことたちを(必ずしも全てを御飯を食べていくお仕事としてやらなくてもいいかもしれないけれど)どうやってやろう、と、移動中に考えていました。
プノンペンからビエンチャンへ
今回はベトナム航空で行きました。出発の一ヶ月前くらいにチケットを予約して、往復244$です。
そろそろバッタンバンからプノンペンへの移動も慣れてきました。 今日もミニバンはほとんど地元の方でした。途中、またカンボジア人に間違えられて、隣のおっちゃんに思いっきりクメール語で話しかけられたりしました(クメール語わからんのよ、って言ったらおっちゃん英語でカンボジア人だと思った(笑)(笑)って言ってました)。
その彼が狭いミニバンの中で一人カラオケを始めたり、後ろで子どもが大音量でスマホゲームしたりで、賑やかな車内でした。
プノンペンの写真屋さん
そうえいば帰りのVISAを取るときの写真がない、と気づいたので、プノンペンの写真屋さんに行ってきました。
こちらの記事が大変参考になりました。私はモニボン通りにある写真屋さんに行きました。
お店入ってから写真を受け取るまで、20分くらいだったと思います。 すぐに撮影されて、3ドルで写真が完成しました(カメラ撮ってくれた方、私の写真を撮った後、人の顔見て爆笑していました。なんで(笑))。
危うくハノイに行きそうになる
さて、無事に飛行機に乗り、ビエンチャンに着いた、、、と思ったら、周りの乗客の皆さんがほとんど降りません。
そのうちに、何やら添乗員さんがせわしなく通路を行き来し、人数の確認をはじめました。 待つこと10分弱くらい。
私は館内放送をちゃんと聞いていなかったので(私の英語リスニング能力は、まだ注意して聞かないとちゃんと分からないレベルです。日本語のようにぼーっとしていても聞けてしまうレベルには達していません)、
「何?この飛行機、間違った空港降りちゃったの?」
「それとも何か危ないことあったの?!」
と勝手に少しそわそわしていました。
と、もう一度流れた機内放送をよく聞いてみると、、、
どうやら、この飛行機がそのままハノイに行く便だということがわかりました(チケットには書いてなかったので全く知りませんでした…)。
何やら焦った顔をした添乗員さんが、「Go to Hanoi?」と近くの乗客に確認していたりします。
そこで、自分がとても迷惑をおかけしていることに気が付きました。
添乗員さんは、ハノイに行く人の人数が合わないために、ビエンチャンで降りるべき人をずっと探してくれていたのです。
そして、その降りるべき人は、私でした…。
私がやっと状況に気づいて、降りなきゃ!となった頃には、添乗員さんがはるか遠く。
隣にいたフランス人の方が私にラオスで降りるの?と確認すると、添乗員さんにスマートに話をしてくれました。ありがとうございます…。 前の方の席はビエンチャンで降りる人が多かったようでがらがらでした。
飛行機出口で、添乗員さん方に、「お前かー!!!!!」という顔をされました。
本当にごめんなさい…。
そして機内放送は聞き取れなかったくせに「この日本人英語分かってないんだよー(怒)!!」という不平は聞こえてしまいました(笑)
いやほんとに、ちゃんと聞いてなくてごめんなさい…。
人数確認をしてくれたベトナム航空のみなさんと、隣のフランス人の方に心から感謝です。ハノイに行ってしまうところだった。
駐在員さんは空港の外で先に待っていて、どこ行ったのかと思ったよ〜と笑ってました。
私が乗ったのは、プノンペン、ハノイ、ホーチミン、ビエンチャンを周っている便だそうです。
ラオスの夜の風景
コンビニに行って、ラオスのSIM等を買うついでに、ちょっとだけ外を歩きました。
メコン川沿い。遠くに光って見える対岸はタイです。
ナイトマーケット。カンボジアのシェムリアップのナイトマーケットは商売っ気が強く、歩いているだけで話しかけられますが、こちらは何も言ってこないです。
最近できたメコン川沿いのお店たち。韓国が整備したそう。ちなみに何故か堤防の下にあるので、メコン川が増水すると沈没するようです。
明日の夜行バスで、フィールドのあるシェンクワンに向かいます。シェンクワン県は、パテート・ラーオというラオスの共産主義運動の支配地域だったために、ベトナム戦争時にたくさんの爆弾が落とされ、今も、それが不発弾として残っている場所です。
昨日の出費
本日の出費(4000KHR ≒ 1.0USD, 8000LAK ≒ 1.0USD)
空港で替えたら1ドル8500キープ(LAK)くらいでした。結構レートがよかったです。お財布の中に3つの通貨が混在していて何がなんだか分からなくなってきました(円と違って桁が大きいので、ちっちゃいお買い物する時でも、なんだかすごく出費している気持ちに未だになります)。
- 写真:3.0USD
- スプライト@空港:6000KHR
- お昼御飯@バスの途中の休憩所:10000KHR これで10000KHRはやっぱりだいぶ不服。
- パイナップル@バスの途中の休憩所:3000KHR
Day060_「やってほしい」に応える時、応えない時
昨晩雷がなっていましたが、朝はすっきり晴れていました。
長期休みがあったため、前回のMTGから間隔があいてしまいましたが、今日は2週に一度のMTG。
全てではありませんが、以下のような項目を話し合いました。
MTGの議題
議題1:バッタンバン、カムリエン事務所の状況確認
事務所で飼育している鶏やあひるの数、野菜、お米の状況を確認します。また、村落開発支援での家畜銀行の開始のために、何匹の鶏を事務所の鶏銀行から渡し、何匹を買い足す必要があるかを確認しました。
事務所については、こんなことを決めました。
- 村落開発支援における鶏小屋を建設する資金が足りないため、村にある木や廃材などを使って村の方と建設することに。
- 以前全滅してしまったコオロギの買い足し(現在、家畜飼育や家庭菜園に加え、昆虫飼育を収入源とできるよう、昆虫銀行を検討しています。まずは事務所で実験している段階です。)
- カムリエン事務所の電気代が嵩んでいるため、ソーラーを導入。
議題2:JICA草の根パートナー型「カンボジア地雷埋設地域の脆弱な障害者家族への生計向上支援事業」について
こちらも獣医トレーニングや家庭菜園トレーニングの進捗共有、各家庭の家畜飼育や養蜂の状況をした後、問題点について話合しました。
例えば、鶏が病気ですぐに死んでしまうケースが多発しているという問題に対しては、今月と来月で一度全家庭の家畜の健康チェックを行うこと、薬が届いたので必要であればそれを使用すること、が決められました。
議題3:村落開発支援について それぞれの村での支援の状況を確認しました。例えば以下のことが決められました。
- ロカッブス村のモデルファームに、ソーラーパネルを導入。モーターよりも電気代を節約して、モデルファームにおける資金の不足を補う。
- サムロイ・チェン村のプロホックの生産状況について一度調査を行う。
午前の時間ほぼ目一杯を使って、3時間半でMTGは終了。
事業のフィードバックの仕方
各事業における、フィードバックの時間の不足がちょっとだけ気になります。それぞれ現場にいるときはもう少し課題点が見えているはずで、その点を話し合えると、事業がもっとよくなっていきそうなのですが。
例えば、日々生活していても、個人的に何かしらについて振り返りをしたり内省をしたりするタイミングって難しいです。
しすぎても決意を新たにするばかりで、結局肝心な作業や具体的な行動は進まなくなってしまったりして。
こうしたプロジェクトは、いつどのタイミングで何についてどんな風に振り返るのがよいのでしょうか(PDM等を利用すればある程度タイミングが掴めるものなのでしょうか、、、)。
プロジェクトを敢えて走らせている可能性もあるので、また事務所長さんを捕まえて聞いてみます。
やってほしい、に全て答えるのが支援ではない。
途中、ある村でインフラを整えてほしいという意見が村のリーダー格から寄せられているという話題が出ました。
話し合った結果、要望は一旦見送ることになりました。
それをこちらで建設してしまうと、一旦は便利にはなるかもしれないけれど、現在破壊が進んでいる自然のものを使って自然とともに生きる暮らしが、もっと破壊されてしまう可能性があるから、です。
無論、それがないことで、村では色々と困っている方がいるのは事実です。
「相手が欲しいというものを与えるのが支援ではない」という言葉を教えてもらったことがあります。全く、その通りだと思います。
今回の判断には私も賛成です。
ただし、議論を聞いていて、「相手が欲しいというものを与えるのが支援ではない」という言葉は、時には本当に必要な支援をしない言い訳にもなりうるなあと思いました(今回がそうだ、というのではなく)。
そして、言い訳をして必要な支援をしていないケースと、本当に村の将来のために敢えてしないというケースを明確に判断する基準を、私はまだ持てていないとも思いました。
1日事務作業で大した写真が撮れなかったので、夕方のバッタンバンの風景をば。
本日の出費(4000KHR ≒ 1.0USD)
- お昼ご飯@ローカルな食堂:4000KHR
- カフェラテ@ローカルなカフェ:2000KHR
- スーパーでお買い物:
- カット果物(マンゴー、ドラゴンフルーツ、梨):1.65USD
- バゲット:1.0USD
Day059_プロホックの可能性?
カムリエンからバッタンバンへ。
今日は1日晴れていました。
朝、カウンターパートNGOスタッフと事務所長と共にカムリエン事務所を出発し、バベル郡にあるサムロイ・チェン村で家庭菜園トレーニングを行いました。
サムロイ・チェン村は非常に道が悪い村です。ドナーさんからご支援を頂き、小学校を建設するまでは、子ども達も学校にアクセスできない状態でした。
昨日雨が降ってしまったので、今日も道はドロドロ。大通りから30分ほど車で進んでいきます。途中からは徒歩。40分ほど、ぬかるんだ道を進みます。もちろん裸足です。ちょっと気を抜くと滑りそうになるので、うかつに雑談もできません。
さすが村の人は歩くのが早く、どんどん抜かされます。
今日はプティという葉物野菜のトレーニングをしました。きちんとした調査はしていませんが、以前野菜の種を配り、トレーニングをしたかぼちゃやヘチマを植えてくれている方がいました。
この村は自然が多くとても美しい場所です。
薬草を使って薬を作っているクルクマエ(カンボジアの伝統的な治療を施すお医者さん)もいました。
池があるので、雨季には魚もとれます。プロホックという魚を発酵させた食品やナンプラーを村の方が作っていました。カウンターパートの先生たちや駐在員さんが購入していました。
ちなみに、プロホックは普段村の中で基本的にただでやり取りされているため、駐在員さんたちが買おうとすると、村のお母さんはただであげるよ〜といいます(最終的にはお金を払って買っていましたが)。
この村の(テラ・ルネッサンスが支援している)特に広い土地のないコミュニティは、経済的にはしんどい状態にありますが、こうしたお金を介しない相互扶助が成り立っていて、食べ物はなんとかやりくりしています。
プロホックを作って売ったらどうか、とカウンターパートの先生が村の方に提案していました。
プロホックは現在、作っては親戚の人や村の方に無償で配たっり、残りは市場で売ったりしているそうです。市場ではすぐに売り切れるとのこと。道が悪いので市場までのアクセスが少し問題ですが、地元でニーズのある加工品で収入を得られたらいいかもしれません。
ただし、魚がとれるのは雨季だけなので、プロホックも雨季にまとめて作っておかないと、安定的な収入にはなりえません。事業化にするにはもう少し調査が必要です。
ちなみに、私は以前、他の支援団体さんが行っているように、技術訓練をして何か日本やカンボジア国内の観光地で売れる製品を作ったりしないのはなぜか?という質問をしたことがあります。
その時の駐在員さんの答えは、そういう支援もとてもいいけれど、目指したいのは、
外の市場やその市場を開拓してくれる人に頼るのではなくて、ここにあるものを使って、地元の市場でニーズがあるものを、地元で生産し、地元の人たちが食べていけるようにすることだ、というものでした。
同時に、内戦やその後の自由経済の流入で壊されてしまった、持続的に自然と生きていける暮らしを取り戻していきたいのだそうです。
なるほど「自分たちがいなくなる」という目標に向かっては、たしかに、地元のニーズに沿った商品を、ここで生産できるといいのかもしれません。
場当たり的な支援とならぬよう、目指したいあり方に向かってどのように事業を設計しているのか。
これからもよく観察し、勉強させて頂きます。
本日の出費(4000KHR ≒ 1.0USD)
Day058_村落開発支援の理想って?
カムリエン、今日は14時からひどく雨が降りました。
今日の午前は、カウンターパートNGOの先生方2人と、事務所長と全員で少し家が離れていて昨日行けなかった1世帯へ、養蜂の進捗を確認しに行きました。
1- ヤギ移動
ちょっとその前にヤギを移動。1年めにヤギ銀行を行い繁殖させた世帯から、新しい世帯へ引き渡します。
2- ロカッブス村校長先生と打ち合わせ
ロカッブス村の小学校では、家畜が入ってくるのを防ぐために、ニームの木で柵を作る計画が進んでいます。現在ニームの苗木の手入れが甘くなってしまっていたため、校長先生と次の作業日を調整しました。(追記:次の日確認に行くと、既に校長先生が生徒たちと手入れをしてくれたと話してくれました。)
校長先生の家で行っている豚銀行の豚はだいぶ大きくなっていました。
3- 養蜂の状況チェック
さて、細々した用事を終えて、養蜂のチェックに向かいます。
確かに遠く、事務所から十数分走った後、雨季ででこぼこした道をさらに30分ほど車でノロノロ進みます。日本の整備された道路が、いかに色んなことを可能にしているかに気が付かされます。
さらに10分ほど歩いて到着。サンダルもぬかるみにはまってしまったのでまた裸足でいきます😭😭
養蜂は順調でした。箱が満タンになってきたので、昨日既にご自身で分蜂されたとのこと。 積極的に進めて下さる方は、ご自身で技術を学んでどんどん進めていきます。
鶏飼育も、トレーニング開始前から先生に積極的に技術を請い、自身で鶏飼育を始めていたという彼。今では小屋を増築し、大規模に飼育をしています。
現在、赤ちゃんを除き、成長した鶏だけで70羽。これまで鶏を売って200ドルを稼いだそうです。
トレーニングで教わった伝統的な薬も、しっかり作って活用しています。
保温器も導入していました。保温器を開いて、卵をライトで照らし、中身がない卵を取り除いています。中身がない卵は孵化しないため、ご自身で食べるそうです。
彼は数年前にキャッサバ栽培の失敗で多額の借金を背負いました。元々土地を広く持っていたので、キャッサバを大規模に育てたところ、値崩れで2万ドルの借金が出来てしまったといいます。
ちなみに、土地を広く持っている方のほうが多額の借金を抱えているケースが多いようです。大規模に換金作物栽培をして値崩れを起こした際に失敗してしまうためです。
支援が入る前、出会った際は、借金を抱えてどうしようもない状態だったといいますが、土地に植えているリュウガンや、鶏飼育で現在は少しずつ安定した収入が得られるようになってきました。
竹林も池もあるので、これから竹や魚を売ることもできます。
しかし、ちょっとだけ気になったのは、機械の多さです。トウモロコシを砕く機械は2000バーツ(約607ドル)で購入したそう。他にも、餌を砕く機械、切る機械、保温器があります。保温器の電気代は、月30ドルほどかかっているといいます。
借金を早く返すため、大規模に拡大するのはとても良いのですが、鶏で200ドルを稼げているように見えても、コストが差し引かれるので実際の利益はそれほど上がっていない可能性があります。生計向上においては、収入を増加させるだけでなく、支出を抑える、という観点も大切です。
100世帯もあればいろんな方がいます。そもそも飼育や家庭菜園を始めるのに抵抗があったり、うまくいかない人もいれば、一方で、彼のように少し借金をしながらどんどん拡大していく人もいます。
組織が目指す、オーダーメイド型支援。彼に対してはどんなフォローアップをしていくのか、見ていきたいと思っています。
4- 家庭菜園トレーニング
午後は、3時までそれぞれ作業をし、その後夕方にプレア・プット村での家庭菜園トレーニングを行いました。
プレア・プット村は、全体で100世帯以上あるのですが、それぞれ30世帯弱の2つのコミュニティに入り、村落開発支援を行っています。
出稼ぎから帰ってくる時間に合わせて実施をしましたが、芋の収穫時期が重なり、泊りがけで出稼ぎに行ってしまっている方が多く、参加者はほぼ子ども達でした。
予め村の方と日程を相談したほうがいいのでは?と聞いてみましたが、以前、日程を予め調整してみたものの出席率はそれほど変わらなかったそうです。
村落開発支援。駐在員さんに、こんな風にしたらいいんじゃないか?これは問題ではないか?という不躾な質問をぶつけては回答を頂く度に、一筋縄ではいかない難しさに気付かされます。