Day012_戦争の爪痕が生活の中にあるということ
カムリエン、晴れ。
金曜日です。
昨日の午後から4人の職員がバッタンバン事務所からフィールドにやってきました。
4人は、今年のJICA事業で行っている鶏銀行の契約書にサインしてもらうため、村々を回っています。
今日のお仕事1:鶏の餌作りレクチャー
私はパートナー団体の農業指導員の先生方と一緒にJICA事業2年目の5世帯を回りました。1世帯20分〜40分かけて、家畜の様子の聞き取りをしながら、昨日から行っている鶏の餌作りをレクチャーしていきます。
JICAの草の根パートナー事業は、地雷の被害で足や腕を失ったり、破片が入って失明をされたりした方がいらっしゃる、100世帯を対象に、家畜銀行と家庭菜園のトレーニングを実施しています。100世帯を45世帯、45世帯、10世帯の3グループにわけ、それぞれ違う家畜から飼育を始めています。例えばグループ1の45世帯は、一年目にヤギ、二年目は鶏、三年目は、、、。グループ2の45世帯は1年目は鶏、二年目はヤギ、三年目は、、、。グループ3の10世帯は、一年目は牛、二年目は鶏、三年目は、、、といった具合です。
本日回った世帯は、1年目にヤギの飼育を始め、二年目に鶏の飼育を始めた6世帯。どの世帯のヤギも丁寧に世話がされ、元気でした。
途中で、JICA事業の取り組みの一つとして、ハリナシミツバチの養蜂を進めている世帯にも行きました。ミツバチの巣箱を開けてみると、ぎっしり。 そろそろ2箱に分割できそうです。
一軒、お母さんが内職で日本の封筒の飾りを作っていました。企業名は聞きませんでしたが、日本企業からの委託だそうです。日本でよく見かける封筒の飾りはカンボジアの村からやってきている…。
もう一つ、今日発見した新しい収入源は魚の養殖。本日訪問した世帯では、家の裏で100匹以上の魚を育てていました。
今日のお仕事2:上手くいくことばかりじゃない…ヤギの治療
さて、訪問中にあるお家から先生に電話が掛かってきました。今朝生まれたこやぎの様態が芳しくないとのこと。
行ってみると、赤ちゃんがぐったりしていました。先日お会いした獣医トレーニングを受けている村の方は既に来てくれていました。子ども8人、女性2人、心配そうにみなヤギの周りに集まっています。
聞けば、このヤギは今回は三度目の出産だそう。初産でも赤ちゃんヤギが亡くなり、二度目だけ成功したそうです。 ミルクをあげてみましたがうまく飲み込むこともできず、どんどんぐったりしていくばかりです。 結局、今回も厳しそうだという結論になりその場を後にしました。 訪問している多くの家では、既に繁殖させ、銀行にも返却して自分自身のヤギを手に入れている方が大半です。 しかし、うまくいく場合ばかりではありません。
今日のお仕事3:「鶏を新しい家に引き渡しました」
最後に、二軒のお家をまわり、鶏を確保しました。新しい家へ移動させるため、一旦事務所に移動させます。
その確保の仕方がなかなか衝撃的でびっくりしてしました。突然小屋にずかずかと入っていって、逃げ回る鶏(もちろん飛び回る)の足を鷲掴みにします。
月次レポート等々で登場する「鶏を新しい家に引き渡しました!」という一文の裏には
(1)鶏小屋に入って、飛び回る鶏の足を確保
(2)数羽ずつ足を紐で束ねる
(3)トラックに積み込む (一旦事務所に運んで管理)
という工程があったのです。
写真の彼はドライバー。大活躍です…。
今日のお仕事4: プレアプット村の基礎教育支援訪問
午後はプレアプット村の子供たちの様子を撮りに行きました。ご支援を頂いている皆さまに、毎月の様子をお伝えする写真を取り、動画を作成するのが私の仕事の一つです。
朝ごはんを食べて幼稚園のクラスがあり、給食を挟んで、午後13時から小学生の授業が始まります。授業後には、おやつの時間があります。給食の先生は二人。先生はひとりです。授業に使うカードや水飲み場は政府が支給してくれたと聞きました。
カンボジアは、11月からが新学期。現在2年生の生徒達が3年生に進級すると、これまで学んでいた国語と数学に、歴史や美術といった科目が加わり、たったひとりしかいない先生の負担が増加します。しかし、3・4年生の授業を行っている学校は村から遠く、毎日通い続けられる距離ではありません。先生と村の方とも相談しながら、この村の学校で生徒達が学び続けられるよう、教育体制を整えていく必要があります。
戦争の爪痕が生活の中にあるということ
ある世帯を訪問中、道をHALO Trustの車が抜けていきました。地雷撤去に行くといいます。村の人が住んでいる地域であっても、そのすぐ裏の山はまだ地雷撤去が終わっていないなんてことはままあります。この辺りでは、MAGと、HALO Trustと、CMAC、JMACが地雷撤去団体の大御所なのだと先生が教えてくれました。
また、訪問した世帯の中には、夫妻で元クメール兵だったのだという方もいらっしゃいました。
被害の状態を個別に記述することはできませんが、事業対象者は紛争による被害を受けた方々なので、地雷や不発弾の事故で足や腕、指を失われていたり、地雷の破片が入ったために片目を失明されていたりします。
今まで、教科書を通じて「過去のもの」としてしか学んでこなかった戦争。その傷跡が、今自分の目の前にいる生身の人の体に残っていることや、 内戦の残した地雷が生活のすぐ隣にあることを私はうまく受け止めきれずにいます。
14時半にカムリエンを出発し、先生たちと一緒にバッタンバンへ戻りました。
帰ってきたらひどく下痢をしていました。夜にパンを食べ過ぎたせいか、それとも疲れていたせいか、はたまたお昼に食べた刺激の強すぎた辛味噌のせいなのか。心当たりが有りすぎます。
ビオフェルミンさまを飲んで就寝です。