バッタンバン滞在記

バッタンバン滞在記

休学中の大学院生。カンボジアのバッタンバンで 認定NPO法人テラ・ルネッサンスのインターンをしています。 自身の備忘録も兼ねて、3ヶ月半の滞在期間中限定でNGOのお仕事、 バッタンバンの街について日記形式でご紹介します。

Day010_Not Enough

カムリエンは、晴れ。昼頃に一度雨が降りました。

夜はねずみが走り回る。犬が吠える。朝は4時から鶏が鳴く。
気忙しないフィールド事務所ですが、わりと気持ちよく眠れました。

フィールド事務所では、朝礼後にマーケットに行き、各々朝ごはんを食べます。カムリエン郡で一番大きなマーケットです。一辺十数メートル四方で歩いてぐるりとできてしまいますが、そのマーケットの脇に朝市?のようなものが別にあって、肉や野菜がずらりとならんでいます。

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朝のマーケット

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魚を焼いている

私は朝ごはんを食べないことが多いので、マーケット内を探検していたのですが、先生がパンケーキをぜひ試してみて!と買ってきてくれました。ココナッツミルクが入っていて、やさしい甘さです。先生ありがとう。

午前

JICA事業のフォローアップで、2世帯のヤギの健康状態を確認しにいきました。フォローアップというのは、各家庭の家畜銀行や家庭菜園の状況を簡単に確認し、困っていることがあれば相談にのることを指します。

一軒目の世帯では、2頭のメスがいました。一頭は借りているヤギ、もう一頭はこの世帯で繁殖させたヤギです。既にどちらも妊娠しています。一頭のヤギの血圧が上がっていたため、先生がアロエとEM菌、ハチミツ、ココナッツを混ぜて薬を処方しました。お母さんが竹を切った容器に入れて、ヤギに飲ませます。

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調合中。アロエはその形からcrocodile tailと呼ばれるらしい

帰り際、先生に薬の作り方を教わっていたお母さんが、早速ご自身で薬を作り始めていました。

二軒目の世帯ではヤギが8頭いました。3頭すべてを返し終わって、すべてご自身のヤギだといいます。毛並みがとてもよく、先生があげる草を一生懸命食べていました。

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現地カウンターパートの指導員さんはヤギを見るとすぐ草を与える

その後、カウンターパートの先生方はオンラインで事務所長との打ち合わせを行っていました。私は団体HPに載せるアジア事業の記事を執筆しました。フィールド事務所にはWi-Fiがないため、作業する際は近隣のカフェに出向きます。今日も今日とて、あまいコーヒーがでてきました。

午後

午後は13時から、農業局に出向き、来週の獣医トレーニングについて打ち合わせを行いました。JICAの草の根パートナー事業では、カンボジア現地NGO Community Rural Development of Natural Agriculture for Supporting Environment(CRDNASE)(先生たちの団体です)、バッタンバン州農林水産局、バッタンバン州社会問題・退役軍人・青年更生局 社会福祉課、そしてテラ・ルネッサンスが共同で事業を進めています。 事業詳細はこちら:

草の根パートナー型 | 市民参加 | 事業・プロジェクト - JICA

始めに、昨日確認した豚の健康状態について共有しました。その後、今月の獣医トレーニングの日程調整を行いました。獣医トレーニングとは、先生たちがバッタンバンに滞在している際や長期休暇で駆けつけられないときにも、村の中で家畜の問題が対処できるよう、2人の村人に動物への医療技術を身に付けてもらう訓練です。5日間かけて行います。

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バッタンバン州カムリエン郡の農林水産局

1時間弱の打ち合わせの後、今度はJICA事業の家畜銀行で鶏を貸与している8世帯を回りました。

親御さんが買い物に出ているため、お子さんが鶏のエサをつくっているうちや

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先生に教わったEM菌を自身で作り、鶏をたくさん育てている世帯がありました。この世帯の男性(片足が義足)は、ご自身で鶏が卵を温めるための小屋を作っていました。家庭菜園のトレーニングで学んだことを実践し、今では近隣の人が野菜や鶏を買いにくるまでになったといいます。

熱が出たりしないように、EM菌を混ぜた水をあげること、EM菌を混ぜた食料を一日3回与えること、と先生が伝えていました。

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元気に走り回る鶏たち

しかし、上手く繁殖できる世帯ばかりではありません。近くに森がある世帯では、クメール語で「スカー」という小さいマングースのような動物がやってきて、鶏を襲ってしまうようです。鶏の数がなかなか増えないと困っていました。

また昨日、鶏が30匹一気に死んでしまったという世帯もありました。ある地域でとても強い感染症が流行っているらしく、それにかかると1日で大量に死んでしまうそうです。

「技術を教えても実践してくれる人ばかりじゃない。本当はきちんと世話をして、作り方を学んだEMを使ってケアをして、居場所を清潔にしてあげていれば、こんな風にはならない。でも、中々実践してくれない人もいる。」と先生がこぼしていました。 (とはいえ、実際はJICA事業の世帯には積極的な方が多く、全体の9割の世帯では家庭菜園も家畜飼育も順調に進んでいます。)

単にやりたくないのか、個人ではどうしようもない阻害要因があって、やることができないのか。オーダーメイド型支援を謳う組織としては丁寧に聞き取りをして一緒に改善策を考えていきたいところです。

Not Enough

そして、夜はお決まりの食堂へ。

今日は突然、先生が「クメール」を知っているかと私に聞いてきました。歴史でやったよと答えると、知っているのと体験したのじゃ全然違うんだ、自分は投獄されていたのだ、と自身の経験をお話してくれました。

先生は、15歳でクメールルージュに捕まり、投獄されたそうです。兄弟たちが先に殺され、次が自分の番だとわかったとき、森へと脱走。後ろから兵士が打ってきたけれど、走ってなんとか森へ逃げ込んだといいます。そこから2年ほど、森の中で、ゲリラとして戦っていたそうです。ポルポト軍と、ベトナム軍を相手に。

先生はいいます。「キリング・フィールドは、タイに逃げることができた人たちが内戦を語って建てた施設。皆は歴史を知るために、あそこへ行けというけれど、でも、あんなの全然十分じゃないんだ。全然違うんだ。本当のことは語られていない。実際はもっとずっと残酷だったんだ…」

先生は、Not Enough を繰り返していました。語られている歴史の記述は、その残酷さを伝えるのに全く十分じゃないんだと。

私はそれに対して何をいうこともできませんでした。ただ聞くことしかできませんでした。受け止めきれない重さがどこかに宙ぶらりんになっているような、形容し難い変な気持ちがしました。

ゲリラ活動後は、タイ国境付近の難民キャンプにいたそうです。Khmer Refugeeと引いたらなんでも出てくるから調べてみて、と言っていました。そこで勉強もできたし、食べ物も、メディカルケアもうけることができたから、このように働くことができるようになった、と。

最後に、自分の人生はとても厳しいものだったけれど、でも自分の命がある間は、海外に行かずにここでこの国の発展に関わりたいのだと、言っていました。

カンボジアに来る前に、内戦の経緯については一通り勉強をしてきたし、残酷な話も本で読んだりはしていました。でも、先生の過去を聞いた途端に、先週からずっと一緒にいさせてもらっていて、事業のことも丁寧に説明をしてくれて、なんだか少しずつ近くに感じていた先生が、私には共感なんてものができないくらいに、ただただ遠く感じられました。どこかに宙ぶらりんになっていた重さは少し遅れてやってきて、受け止めきれない感情が、今ちょっと胸をふさいでいる感じがします。

仕事外の時間も大切にして、カウンターパートの先生たちのことも、テラ・ルネッサンスカンボジアスタッフのことも、もっと知ってみたいとそれだけ思います。

本日の出費(4000KHR ≒ 1.0USD)
  • カフェのコーヒー:3000KHR
  • 晩ごはん:8000KHR