Day048_カンボジア一人旅(シェムリアップ編)vol. 3 / アンコールワット小回りコース後編
アンコールワット小回りコース後編です。 ▼前編はこちらから▼
アンコールトムの観光を終え、小回りコースの先を行きます。
タケウの手前にある小さな寺院にも寄っていきました。
チャウ・サイ・デボーダ
ふむ。
トマノン
ふむふむ。
タケウ
11時過ぎに雨が強く降り始めてしまいました。再びかっぱを着てタケウへ。
この寺院はあまり補修がされておらず、階段もアンコールワットのように整備されていません。
滑らないように気をつけながら登っていきます。
上から見た景色。
下りの方が怖かったです。
スリリングな遺跡観光でした。
タ・プローム
タ・プロームについたのは12時半ごろ。少し歩き疲れたので、タ・プローム前のカフェに入って休憩しました。バナナシェイクを注文。
元気を取り戻したところでいよいよタ・プロームへ出発。
立派な門をくぐって寺院まで少々歩きます。
到着です。
木が巻き付いているのは有名なこの場所だけではありません。
四方の壁のいたる所を木の根が乗り越えていました。
壁に根がびっしり。
個人的には、思いっきり木に侵食されているような有名な場所よりも、裏側のひっそりとしている場所が素敵だと思いました。
45分程滞在していました。
スラ・スラン
沐浴の池、スラ・スラン。
地元の人達が釣りをしていました。
湖が好きなので、眼前に現れた広々とした水面にはっとしました。
一目見た時のインパクトは、ここが一番強かったかもしれません。
バンテアイ・クデイ
上智大学が調査に入っている遺跡です。ヒンドゥー教のお寺が多い中で、ここは仏教のお寺だったそうです。
回っていると、遺跡の係員さんに声を掛けられました。
勝手にガイドを始め、写真のスポットをたくさん教えてくれます。
アブサラがたくさん見える場所や
廊下の連なりが美しい場所を
「ほら、ここ立って、ここから写真撮って!!」と、どんどん案内してくれます。
写真を撮ったりもしてくれました。
ちなみに、この塔の形は蓮の花のつぼみを表しているそうです。
一人旅だったのでここまで下手くそな自撮りしかできず、写真を撮ってもらえるのはとても有り難いなあ…と思っていたのですが。
途中で、気が付きました。
.......この国はチップが必要な国だということに。
ガイドの終わりに「平均は5$でだいたい2$〜10$くらいの幅はある。値段は任せる」と言われました。
10$は高すぎるだろ…!!と思いながら3$のチップを渡しました。今思えばもう少し少なめでも良かった気がします。
観光客を捕まえて係員さんはお小遣い稼ぎをしているようです。気を付けねばなりません。
プラサット・クラヴァン
5つの塔がある小さい遺跡です。それぞれの塔の内部に壁画がありました。
14時すぎに観光終了。一気に回ったので足が疲れました…!
時折降る雨は厄介でしたが、雨が降ると一旦涼しくなるのは助かりました。この日は夜8時頃にもまた雨が降っていました。
遺跡探検は思っていたよりずっと楽しく、夢中になって歩き回ってしまいました。 早朝から午後まで乗せてくれたドライバーさんに感謝です。きちんと勉強し直して今度はもっとゆっくり来てみたいなと思います。
本日の出費(4000KHR ≒ 1.0USD)
Day048_カンボジア一人旅(シェムリアップ編)vol.2 / アンコールワット小回りコース前編
せっかくのアンコールワット巡りの日は、時折雨が降る天気の不安定な一日でした。
早起きをして、朝4時40分にホテルのフロントに集合。
パークレーンホテル、朝日観光ツアーもあって、朝ごはんも用意してくれて、なんていいホテルなんだ!と思っていましたが、
フロントに来てみると、お弁当は作り忘れられていました。
「いや〜確かに予約の記録はあるけど、誰も準備しなかったみたいだ!」
とスタッフさん。
あなたの責任じゃないのは分かるけれどSorryの一言くらいあってもいいのでは(笑)と心の中でつっこみます。
シフトの違うスタッフ同士の連携がうまく行かなかったのでしょう! ちょっと悲しいけど気を取り直して出発です…!
ちなみに、私は付け焼き刃の予習で、かつガイドさんも付けていなかったため、本記事では遺跡についての詳しい解説はありません。
どうぞ写真をお楽しみ下さい。
チケットを買う
ホテルから走ること約15分。まずはチケット売り場でアンコールワットの入場券を購入します。
まだ5時前なのに大勢の観光客が並んでいます。
一日観光券は37$。 顔写真を撮られ、写真付きの入場券をもらいました。
アンコールワット朝日鑑賞
チケット売り場からさらに走り、5時30頃にアンコールワットへ到着しました。
雨が降っていたので、トゥクトゥクのドライバーさんがお客さん用のかっぱを貸してくれました。
トゥクトゥクが止まる駐車場から、鑑賞スポットまでは400m〜500m ほど歩きます。暗い中を人波に沿って進んでいきました。
5時40分頃についた時には既にうっすら明るんでいました。
水面に映るアンコールワットが美しい。
位置取りが悪く、まん丸の朝日は見られませんでした。6時10分頃には完全に朝日が上りました。
アンコールワット
このままホテルに戻って一度朝食を食べられる方もいらっしゃるようです。私はそのままアンコールワット観光へ。
第一回廊の壁にはレリーフが彫られています。ラーマーヤナやマハーバーラタ、スールヤヴァルマン二世の物語、天国と地獄の様子を描いたレリーフがありました。
柱や窓の縁も、一つ一つ丁寧に彫られています。
第三回廊へ登ります。
第三回廊からの景色はこんな感じ。
ぐるぐる回っていたらあっという間に1時間ちょっと経っていました。帰り際の7時半頃から、一気に観光客が増えました。
駐車場へ戻ると運転手さんがお昼寝中だったため、丁度良いやと思い、そのまま屋台で朝ごはん。さすが観光地、スプライトがバッタンバンの4倍の値段でした。
8時頃、プノン・バケンに出発しました。
プノン・バケンまでは、トゥクトゥクを降りて15分程山道を歩きます。
つきました。
ここから更に登ります。
サンセットポイントのため、午前中の時間帯は空いています。私と数組しかいませんでした。
見晴らしがよい場所だと聞いていましたが、回りが木に囲まれていて意外と景色が見えません!(笑)
山道の行き帰り合わせて40分ほど滞在していました。
アンコールトム:バイヨン
いよいよバイヨンのあるアンコールトムへ。南大門が見えてきました。
川を渡って、
入場。
ドライバーさん、川の手前で私をおろして、歩いて写真を撮りながら入場できるよう、門をくぐった先で待っていてくれました。
バイヨンに到着です。
塔の一つ一つが四面像になっている…!
彫り物や廊下も素敵で、歩いているだけでとても楽しいです。
バイヨン内部。
こんな立派な建築物を、誰がどう設計して、どうやって石を切り出して接着したんだろう…と不思議になります。
中心部まで上がっていくと、四面像があちらこちらに。 皆さん色々なポーズで写真を撮っていました。
これがクメールの微笑みかあ…。
一番外側の壁。
アンコールトム:バプーオン
バイヨンを満喫したので、ドライバーさんと待ち合わせをした像のテラスまで歩きます。 バイヨンも広すぎて、間違って入って来た側と反対の出口に出てしまいました。係員さんに、像のテラスは反対側やで、と言われたのでバイヨンをぐるっと回ります。
バイヨンを出て、ドライバーさんに教わっていた道を歩いていくとバプーオンがありました。
参道から望む寺院が美しい。
階段を登ると、
寺院までのこの参道が見渡せます。
アンコールトム:ピミアナカス
さらに人波に乗って歩いていくとまた建築物が。
後に調べてピミアナカスだと判明しました。
バプーオンあたりから道はもう怪しかったのですが、
案の定
.......迷いました。
ひっそりとして素敵な場所に迷い込みました。
これも後から調べてわかったのですが、ここは王宮跡の塀だったようです。
苔むした塀のあるこの場所はとても静かで、神聖な雰囲気でした。迷い込んだ場所ですが、今日訪れた中で一番心に残った場所を挙げよと言われたら、私はここを挙げます。
アンコールトム:像のテラス
なんとか人のいる方に戻り、歩くこと10分弱。やっと像のテラスにたどり着きました。
私よりドライバーさんがほっとした顔をしていました。
思いの外長くなってしまったので、前編はここまで。 タケウやタ・プロームを回った後編に続きます。
Day047_カンボジア一人旅(シェムリアップ編)vol. 1 /アンコールワット巡りの予約とお土産屋さんめぐり
朝のプノンペンは忙しない。ホテルからバス停まで、6時半くらいでも少し渋滞に遭いました。朝早いバスで出る方はお気をつけ下さい。
7時発のゴールデンバイヨンのミニバンに乗って、途中30分の休憩を挟んで12時半に到着です。 バッタンバンとプノンペン間よりはるかに道がよく、ちょっとお昼寝もできました。
今日も終日晴れの一日でした。そういえば、最近雨を見ていない気がします。
今日のミッションは明日明後日のツアーを予約することです。
アンコールワット巡りのトゥクトゥクを予約@ホテル
シェムリアップのホテルはアンコールワットの巡りのプログラムを持っているところが多いとの事前情報を仕入れていたので、早速フロントで聞いてみました。
私が泊まったパークレーンホテルには、4日分のプログラムが用意されていました。
4日間すべて予約する必要はなく、1日目のコースだけを選択したり、1日目と2日目のコースを午前午後で回ったりと好きに組み合わせて良いとのこと(ただし、3日目と4日めのコースは遠すぎるのでそれだけでまる1日かかるそうです)。
写真のFirst Dayにかかれているのがいわゆるアンコールワットの「小回りコース」、Second Day にかかれているのが「大回りコース」。 同じコース内なら、シートに書いてある寺院にプラスしてどれだけ寺院を回っても、追加料金はかかりません。
このホテルは朝食が無料で付いているのですが、朝日を見に行く場合は出発が早すぎて朝ごはんを食べられないため、チキンサンドのお弁当も持たせてくれるそうです。
至れり尽くせり。
小回りコース1日で十分だなあと思っていたので、First Day に朝日鑑賞を付けて申し込み。明日の朝4時40分にフロントに来るよう言い渡されました。
パークレーンホテルのスタッフの皆さんはとても親切です。色々教えてくれて、本当に有り難い。
格安ホテルなので、ホテルをゆっくり楽しみたい方は不満足かもしれませんが、お湯も出るし立地がとても良いしお気に入りのホテルです(シェムリアップでここ以外に泊まったことがなく相対的な評価はできませんが)。
ベンメリアのツアーを予約@クロマーヤマトゲストハウス
ベンメリアという遺跡も今回行ってみたい場所の一つです。郊外にあるため一人でツアーを予約すると少々お値段がはります。
クロマーヤマトゲストハウスでは、そこに宿泊していなくても、相乗りでツアーに参加して下さる方を募集することができることを知り、
ホワイトボードでメンバーを募集しに行きました。
ホワイトボードに日程と時間を書き込み、同じ日に行って下さる方を募集します。
前日の21時までがタイムリミット。それ以降は集まろうが集まらなかろうがキャンセルはできません。
ベンメリアにはどうしても行ってみたいのでたとえ一人でも決行予定ですが…。35ドルかかるので、どうか仲間が集って欲しい…。
お土産屋さんめぐり
帰国はもう少し先なのでまだお土産は買いませんが、知人から聞いて気になっていたお店を覗きに行ってみました。
Sui-Joh
まずはSui-Joh さんから。
カンボジアのスカーフ、クロマーを使った小物ケースや、バックが並んでいます。オーナーは日本人。すべて手作りだそうです。
SALA SUSU
お次にSALA SUSU。NPO法人かものはしプロジェクトさんの支援で、立ちあがったブランド。元々はSUSUという名前でしたが、今年度から新しくSALA SUSUとして生まれ変わりました。
教育機会に恵まれなかったカンボジアの女性たちが作る、い草をアクセントにした小物やサンダルが可愛らしいです。
Smateria
最後はSmateriaさん。 イタリア人の女性2人がカンボジアで立ち上げたブランドです。バックや小物が、蚊帳で作られています。
Smateria - messenger bags, shoulder-bags, and a range of...
こんなに可愛らしい路地にありました。
パブストリートですれ違う方々は、8割方欧米からの観光客です。毎年、乾季に入る直前の10月あたりは欧米からの観光客が多いそう。でも、今年は少なくて中国からの観光客が一番多いんだよね〜とSui-Jojさんのスタッフさんが言っていました。
明日は早起きです。朝日が無事に見られますように。
本日の出費
Day046_カンボジア一人旅(プノンペン編)vol.3 / 国立博物館
プチュム・バンが終わり、活気づいてきたプノンペン。 今日も一日晴れでした。
ロシアンマーケットはお休みでしたが、食べ物の屋台だけは出ていたため、お昼はヌードルを食べてみました。 もやしのような形をした不思議な麺。
透明のお酢?のような液体やチリソースをかけて食べます。
向かいに座って色々と話しかけてくれた(り、勝手にお酢やチリソースをかけてくれたりした)おじさんがご馳走してくれました…😭😭
国立博物館
3日目にして、何だかもうプノンペンはもう良いかなあ(笑)という感じになってきたので、今日は午後に国立博物館にだけ行ってきました。
入場料、10ドル…!前に他の方のブログで見たときは3ドルだったと思ったのですが…値上げしたのでしょうか…
せっかくなので、音声ガイド付きのオーディオプレイヤーも借りました。こちらは5ドル…。
音声トラックを見てびっくりしました。
その数、
419.....
一つだいたい1分から3分、長いものだと8分くらい。それぞれの展示物がいつどこで発見されたのか、何時代に作られたもので、どんな特徴があるのか、どんな影響を受けているのか等々、小さな石像一つひとつ、大変丁寧に説明が付されています。
各説明の前にいちいち短い音楽が付いたりして、全然次に進めません(笑)
気になる展示物や、大きくてメインであると思われる展示物をピックアップして聞いていきました。すべての展示品に説明があるわけではないのですが、まる一日はかけてもすべてを聞くことができなさそうな量です。
展示スペースは1階の6部屋ほど。プレアンコール期、アンコール期、ポストアンコール期それぞれの石像や彫刻が多く展示されていました。
〇〇朝の〇〇期の〜〜という細かい話になりすぎると少しきつかったのですが、音声ガイドにはラーマーヤナ物語の概要や、ヴィシュヌ神、シヴァ神、ガルーダ、ガネーシャが登場するお話なども収録されており、展示品を見ながら楽しく勉強ができました。
閉館時間は17時なのに、私が到着したのは15時頃。1時間半ちょっとくらいしか滞在できず、もっと早い時間から来ればよかったなあと少し後悔しました。
VIBE
夜は、プノンペンに在住している方と、野菜の食べられるオシャレなカフェへ。 ベジタリアンカフェのようで、すべてお野菜の料理です。 サラダボウルを頼みましたが、味噌と豆腐?でできたお肉のようなものが入っていて、野菜だけだったのにお腹いっぱいになりました。
でも実は、シェムリアップの一番の目的はAPOPO Visitor Centerという地雷ラットの博物館🐭ツアーも予約したのでとても楽しみです。
本日の出費
Day045_カンボジア一人旅(プノンペン編)vol. 2 /キリング・フィールドとトゥールスレン虐殺記念館
プチュム・バン最終日です。プノンペンは終日晴れでした。
昨日よりは若干開いている店が増えたような。しかしロシアンマーケットは今日もおやすみでした。
昨日訪れたロイヤルパレスでトゥクトゥクのおじさんに捕まり、今日は1日、25ドルで市内を好きなだけ回らせてもらう約束をしていました。
先に書いておきますが、キリング・フィールドを入れても多分25ドルは高すぎました…(ホテルの位置にも寄りますが、ロシアンマーケットからならPass Appで調べるとキリング・フィールドも片道4ドル弱です)。
さらに、
今日は開いているから!と言われたマーケットは結局開いていなかったし、
どこでも連れてってあげるといいながら、オルセーマーケット行ってみたい!と言ったときは観光客向けじゃないからとイオンに連れて行かれたし、
最後に行ったマーケットでは他の仕事が入ったのか、半ば急かされる形で買い物させられたしで、
もう明日から絶対タクシー配車アプリ(Pass App)を使おう…と心に決めた一日でした(私が舐められただけかもしれませんが)。ただし、降車位置もあらかじめ設定できてしまう配車アプリより、ドライバーさんとああだこうだ会話はしやすいのですよね。それは楽しかったのでまあ良かったかなと思います😭
ちょっと長くなってしまったので、今日の記事には目次を付けます。
ご注意
本記事には内戦時代に多数の方が苦しまれた収容所とキリング・フィールドの記述、および写真が含まれます(トゥールスレン博物館は建物の写真のみ)。
そうしたお話を読むのが辛い方・苦手な方、今日は少し気持ちがしんどい方はこの記事をここで閉じて頂き、他の記事をお楽しみ頂けますと幸いです。
いつも最後に書いている本日の出費も、今日は先に書いておきます。
本日の出費(400KHR ≒ 1.0USD)
- 食料品
- 入場料
- キリング・フィールド:6.0USD
- (任意の慰霊のお花1本):2000KHR
- トゥールスレン虐殺博物館: 8.0USD(音声ガイドあり。無しなら5.0USD)
- トゥクトゥク代:25.0USD
キリング・フィールド
ホテルまで8時に迎えに来てもらい、チュンエクのキリング・フィールドへ。少し離れているので、中心部からは30分〜40分くらいかかります。
通称、キリング・フィールドと呼ばれるこの場所の正式名称は、「チュンエク大量虐殺センター」です。
日本語版の音声ガイドがあり、ストップポイントで解説を聞きながら進んで行きます。全部で36トラックありました。
この場所で起こったこと
彼が目指したのは、身分も資産もない平等な社会でした。個人資産は破壊されるべきだとされ、土の上で働く労働者、農民こそが一番上にたつ社会を作ろうとしました。
農民たちは基礎人民と呼ばれた一方で、教育を受けた医師や教師、法律家、外国語のできる人、僧侶、さらにはやわらかな手をしている人、メガネをかけた人、都市に住む人々は、「新しい人々」と呼ばれ、彼らは理想の社会の潜在的な敵であるとみなされました。
「新しい人々」の多くは捉えられ、アメリカのCIAやソ連のKGBのスパイであるとか、共有の米を盗んだであるとか、仕事をしなかったであるとか、そうした嘘の供述書を作らされました。処刑の口実をつくるためです。
拷問の末、友人や家族も同じことをした仲間であると供述させられました。
この場所は、そのように収容所で拷問を受け、偽の供述をさせられて死刑を宣告された方が、処刑をされる場所でした。
数週間おきに50〜70名の方がこの場所に連行されては処刑されました。
クメール・ルージュの体制が崩壊し始めていた1978年には、虐殺がエスカレートし、一日で300人の方が殺されたといいます。
「新しい場所に移るだけだから」と嘘をついて、収容者をトラックに乗せていたそうです。
1975年にポル・ポトがプノンペンに入り、1979年にベトナム軍に追い出されるまでの3年8ヶ月20日の間に、当時の人口800万人のうち、300万人の方が亡くなりました。
プノンペンからの強制退去と労働
当時のカンボジアは、汚職と食糧不足で人口の八割が貧困にあえいでいました。また、米国が北ベトナムの供給ルートを断つため、カンボジア農村部に空爆を繰り返しており、都市には農村からの避難民が溢れていました。
当時、政権を執っていたのは、アメリカからの支援をうけてシハヌーク国王にクーデターを起こしたロン・ノル政権。アメリカに対抗しよう、そしてこの苦境を終わらせようと謳ったポル・ポト派は、喜びをもって大衆に受け入れられました。
ポル・ポトは知識を持たない農民階級の青年を集めて軍を組織し、都市の人間は利己的で悪で、そのような人たちのせいで現在の苦難があるのだと教えました。そのうえで、彼らには仕事と給料を約束しました。
1975年4月11日にクメール・ルージュがプノンペンを陥落した日から、悪夢は始まりました。48時間以内に学校、病院、銀行、省庁のすべてが封鎖され、住民は退去を余儀なくされました。3日でプノンペンは空になったといいます。また、カンボジア内部のその他の多くの都市からも住民が退去させられました。
人々は農村部への移動を強いられ、農業に従事させられました。アンカー(クメール・ルージュの秘密の幹部体)からの司令は、どんな土地であっても米の収穫量を三倍に増やすことでした。無論、農業の知識も経験もないクメール・ルージュの地方官僚と元々都市で仕事をしていた人たちが、米の収穫量を増やせるはずもありません。
しかし、水路や土手の建設、下肥、田植えなど、人々はひどい日には12時間以上の労働を強いられました。食料は一日2回、水のようなお粥だけ。飢えと過労で多くの人が亡くなったといいます。
クメール・ルージュは、処刑や拷問に際して、異常なまでに正確な記録を取っていました。
トラックで人が運ばれてくるたびに、収容所からの名簿リストに照らし合わせて名前が綿密にチェックされました。逃げたり、処刑されずにいる人がいないかを確認するためです。
チュンエクには拘置所を初め、武器庫や事務所など多くの建物があったのですが、内戦が終わった際に近隣住民が住処をつくるためにすべて取り壊されてしまったといいます。現在は、各ポイントにこのような看板が建っているだけです。
処刑のされ方
処刑は、近隣の住民にばれないよう、夜に行われたため、一晩で殺しきれない場合には、木造の壁だけがある拘置所に一日置いて置かれました。
ここでは、24ヘクタールに129の墓地が見つかっており、2万人近くの犠牲者が推定されています。発見された当時、集団墓地の盛土は遺体から発せされるガスで盛り上がっていたといいます。まだ発掘されていない墓地も、40以上あるそうです。
クメール・ルージュは、処刑や拷問に際して、異常なまでに正確な記録を取っていました。
トラックで人が運ばれてくるたびに、収容所からの名簿リストに照らし合わせて名前が綿密にチェックされました。逃げたり、処刑されずにいる人がいないかを確認するためです。
名前の照合が終わると、一人ずつ穴のへりに連れて行かれ、そこにひざまずかされました。銃弾は高くて使えなかったため、処刑は斧やなた、ハンマー、荷車の車軸といった農機具や建設用具で行われました。「罪のない人を誤って殺すのは、敵を誤って殺しそこねるよりマシである」と教えられていたそうです。
死体が穴に落とされた後は、砂糖椰子の木の皮や果物ナイフで喉が掻き切られました。最後に、DDTという有毒の殺虫剤が振りかけられました。実に息の根を止めることと、死体の腐臭を消し、近隣住民にばれないようにすることを目的に使用されたといいます。
カンボジアの方だけでなく、西洋からのジャーナリストや、カンボジア内部の幹部の遺骨もここで発見されているそうです。
頭蓋骨や足の大きな骨は、キリング・フィールドの中心に立つ慰霊塔に収められていますが、あばらなどの小さな骨はとても収容しきれず、地中に埋まっています。雨季になると、雨で土が流されて今でも地表に浮き上がってくることがあるそうです。2ヶ月から3ヶ月に一度、この場所を管理している方が収集して下さっているといいます。
展示物の一部
ある墓地の近くに立つ木です。100名近くの女性の遺骨が見つかっているこの墓地では、乳児の遺骨も見つかっています。
乳児は、キリング・ツリーと呼ばれるこの木に打ち付けられ て殺されました。
「雑草を取り除くなら根こそぎ」というスローガンのもと、後に報復をされないよう、血縁ごと殺すのがクメール・ルージュのやり方でした。
この菩提樹の木には、かつて、大きなスピーカーがかけられていたそうです。夜に革命歌を流し、処刑の際の叫び声や音をかき消し、クメール・ルージュの集会をしているカモフラージュをしていました。
1988年に作られたという慰霊塔。2011年時点で、カンボジアでは300箇所以上の処刑場が見つかっており、そのうち80箇所が遺跡として残されました。チュンエクはそのうち最大の場所です。
ポル・ポトがプノンペンを陥落した17日にちなんで、塔は17階建てになっています。遺骨は鑑定がされ、年齢ごとに分類されて納められていました。
まだほんの40年前に、この場所でそんな恐ろしいことが起きたのだとは信じられないくらいに、緑が多く本当に綺麗な場所です。聞き直したり、博物館の方までゆっくり見ていたりしていて、ふと気がついたら3時間弱経っていました。
あまりに長くいたので心配になったのか、ドライバーのおじさんは心配になって中に探しに来ていたようです(笑)、出口の係員さんに「あれ?ドライバーと出会わなかった?」と聞かれました。
AEON
オルセーマーケットにおいしいご飯があるとブログで読んだことがあって、行ってみたかったのですが…「あそこは機械と家具しか売ってないから!観光客向けじゃないから!」と猛反対されイオンにつれて来られました。
なるほど、一度来てみたかったからこれはこれで良かったと思おう。
洋服屋さんから電気屋さん(nojimaがあった)、小物屋さん、ゲームセンター、そしてフードコートやカフェを備えた、日本と全く変わりないイオンモールです。
日本の地方都市の小さめのイオンよりずっと大きいです。スタバもケンタッキーもありました。
和民や吉野家、すき焼き食べ放題、回転寿司…など、日本食も充実していました(高いので入らなかったけれど)。ビアード・パパのシュークリームも売っていました。
中国料理屋でヌードルを食べましたが、4ドルかあ…という感じ…。やっぱりご飯はマーケットのほうが安くて美味しいです。
カンボジアに来てからは、村ばかりを見ていたので、プノンペンとの格差に面くらいました。欧米の方もいらっしゃいますが、利用者のほとんどが地元の方です。
トゥールスレン虐殺記念館
午後は街中に戻り、トゥールスレン虐殺博物館へ。
この場所で起こったこと
別名S21と呼ばれるこの場所は、元々高等学校でしたが、ポル・ポトのプノンペン侵攻半年後に、セキュリティーセンター(収容所)へと変えられてしまいます。カンボジア全土167箇所のセキュリティセンターと330箇所の虐殺場、そのすべてを統括する中心となるセンターでした。
1975年から1979年の間に、1万〜2万の人が収容されたと推定されています。そのうち、確認されている生存者はわずか12名です。近隣の方からは「人が入っていったら二度と出てくることがない場所」と言われていたといいます。
この収容所の所長であったカン・ケ・イウ氏(通称ドッチ)は、国際裁判にかけられたクメール・ルージュ幹部のうち唯一その責任を認めている人物です。
敷地内には4つの校舎があります。教室は集団の収容所や独房、そして拷問の部屋として使われていました。現在は、写真や拷問に使われていた部屋が展示されています。おそらくフラッシュをたかなければ撮影は可能だったのですが、部屋の中に私はカメラを向けることができませんでした。
墓石
1979年、ベトナム軍にこの場所が発見された際、拷問の部屋に残されていた14名の方のお墓です。職員は急いで逃げねばならなかったため、遺体が放置されていたといいます。拷問に使われていた各部屋には、お顔を隠した写真も展示されています。
A棟
A棟は特別重要な収容者が拷問をうける場所でした。一日に3回も受ける方もいたといいます。
拷問されていたという場所は、足かせの付いたベットとトイレのための弾薬箱と、机がぽつんとあるだけでした。
キリング・フィールドの部分で書いたように、収容所は処刑のための口実となる供述をさせる場所でした。 机は、偽の供述書を書くために使用されました。
匂いはありませんでしたが、ベッドの下は異様に黒ずんでいました。血が染み込んで取れないのだと思います。
A棟前の掲示板に、この収容所での規則が掲載されていました。
「質問された事にそのまま答えよ。話をそらしてはならない。」
「何かと口実を作って事実を隠蔽してはならない。尋問係を試す事は固く禁じる。」
「これらの規則を守らなければ、10回のムチ打ちと電気ショックを与える。」
という、異常な規則が書かれています。
B棟
B棟には、幹部らの写真や、この場所で亡くなった方の写真が展示されています。この収容所に来た方は、一人ひとり身長を計測され、職業を確認され、顔写真を取られて記録を撮られました。写真の中には、まだ幼い顔もあります。収容者には番号がつけられ、拷問の時以外、名前で呼ばれることはありませんでした。
クメール・ルージュは、知識も持たず読み書きができないような農村部の青年を雇用しました。クメール・ルージュの職員らの写真は、10代から20代のあどけない顔ばかり。教育はいらないというポル・ポトの方針の下、彼らに施されたのはプロパガンダと革命の刷り込み、そして自己批判会議だけだったといいます。
また上階には集団収容所があります。高校の教室ほどの広さに約60名が、鉄の足かせで繋がれて横たわらされていました。
校庭でかつて運動用に使用されていた器具も、収容者を吊るし上げる拷問具として使われました。吊るし上げて気絶した収容者の顔を、糞尿の入った樽に押し込んだといいます。
C棟
C棟には、れんがと木でできた独房がならんでいます。畳一つ分くらいの本当に暗い部屋がいくつもいくつも並んでいます。重要とみなされた方は集団収容所ではなく、この独房に入れられていました。
収容者が飛び降り自殺できないよう、外には網が張られています。
D棟
D棟では、拷問の方法が説明がされている他、誤って拷問の際に殺されてしまった方の写真が残されています。「誤って」という理由は、この場所は処刑される場所ではなく、あくまで供述をさせる場所であったため、殺すことは許されていなかったからです。
クメール・ルージュの職員たちには「拷問は怒りをぶつけるところではない、記憶を破壊して、罪を植え付けるためのものであり、殺してはいけない」と教えられていました。誤って殺してしまった職員は収容される場合もあったといいます。
写真に写った亡くなった方の姿はどれも本当に痩せ細っていて、人間であるとは信じられないような姿でした。
中庭のお土産売り場には、この収容所の生存者の方が座っていらっしゃいました。大工、芸術家、タイプライター、機械工といった、この施設に必要だった本当に数名の技術者だけはその能力を買われて生かされたといいます。
さすがにトラックがたくさんありすぎて(51トラック)、5つくらいのおまけトラックは聞くことができませんでした。ここでも3時間程滞在してしまい、またドライバーさんが心配して探しに来てしまったのですが、説明が丁寧なので、3時間いても見きれないくらいです。
最後のメイントラックには、この博物館は悲しい記録を保管していること、そして訪れたひとりひとりが、その記録の保管者になって欲しいというメッセージが強く語られていました。
Day044_カンボジア一人旅(プノンペン編) vol. 1 /ワット・プノンとロイヤルパレス
プノンペン、一日晴れ。日差しの強い暑い日でした。
朝、今回もゴールデンバイヨンに乗ってバッタンバンからプノンペンへ移動してきました。途中30分弱のお昼休憩を挟み、8時発で13時に到着しました。 今日の運転手さんは飛ばしすぎで、揺れすぎて寝れたもんではありませんでした…。
プチュム・バン(お盆休み)だけあって、珍しくプノンペンも閑散としています。最近できた新しそうなカフェ等を除き、9割方のお店は閉まっていました。そういえばプノンペンまで一緒に乗ってきた方も、私を含めて7人だけでした。
楽しみにしていたロシアンマーケットもシャッターが閉まっています…😂。
今回のプノン・ペン観光の目的は、明日明後日に予定しているキリング・フィールドとトゥールスレン虐殺記念館です。でも、いざ来てみると、せっかくならば…と色々な場所を回りたくなります。今日はワット・プノンと王宮を回ってみました。
ワット・プノン
入場料、1$です。 プノンペンという都市名の由来になった「プノン」さんという女性にちなんでいる寺院。
このような壁画をみるたびに、もっと叙事詩とかブッダの伝記とか読んでいればずっと楽しめるのだろうなあと後悔します。
お寺の裏に、大きな時計があります。しかし天を向きすぎていてどの角度からも時計が読めない。
リバー・サイド
ワット・プノンから王宮まで、川辺をのんびりお散歩。
今日行った中で一番のお気に入りはこの場所です。川が広くて、そして空の面積が本当に広くて、そのスケールにぞわっとしました。
道はこんな感じです。道路を挟んだ道沿いにはおしゃればカフェが立ち並んでいて、欧米人の方で賑わっていました。 日差しは強いけれど、時折涼しい風が吹いてきて気持ちがいいです。
ロイヤル・パレス(王宮)
王宮が一つあるだけかと思っていたら、広い敷地に建造物が20数個もあってびっくりしました。入場料は10$です。この写真は王宮ではありませんが、王宮内は外側から観覧ができます。大きなシャンデリアが印象的。
建物内にも渡されるマップにも説明はほぼないので、思いつきで来た予習不足の私は、どれが何のために使われた建物で、どんな特徴を持っているのか全く分かりませんでした。後から調べ直して楽しんでしますが、できれば予習して行ったほうがよかったと思います。
シルバー・パコダ。エメラルド色の仏像があります。
きらびやかな王宮も良いですが、個人的にはこの王と王妃のストゥーパが格好よかったです。
街で見つけたちょっとおもしろい看板
ヘアーサロンかな、と思ったら
「Mao's」という娯楽施設の当て字のようです(「もう」と読ませたいのか)。
どうしても「け」って読んでしまいます。
バックパッカー歴があるわけでないので、このような海外一人旅は初めての経験。事務所休暇に入ってからほとんど人とお話していないので、そろそろ寂しくなってきました。
本日の出費(4000KHR ≒ 1.0USD)
- プノンペンまでのバス代:10.0USD
- 食費
- 入場料
- ワット・プノン:1.0USD
- ロイヤル・パレス:10.0USD
- トゥクトゥク代金
- バス乗り場からホテルまで(約5キロ):8000KHR
- ホテルからワット・プノンまで(約6キロ):8000KHR
帰りは、「明日ツアーしてやる!」というトゥクトゥクおじさんに捕まって、とても渋っていたら「今日は無料で送ってやるから!!」と無料で送ってくれました。マーケットが閉まっていてローカルフードを食べられなかったのが残念です。カフェで6.0USDは高い…。
Day043_プノン・サンポーに登ってきました
バッタンバンは終日晴れ。今日はプチュム・バン(カンボジアのお盆休み)の1日目でした。
仏教に信仰のあついカンボジアの方々は、お盆休みは参拝したり、親戚で集まって宴会をしたりして過ごすそうです。
雑貨屋さんや食堂も閉まっているお店がちらほらあります。
ご注意
本記事の下部には内戦時代のKiling Cave(キリング・ケイブ)の記述、および写真(遺骨の写真はありません)が含まれます。
そうしたお話を読むのが辛い方・苦手な方、今日は少し気持ちがしんどい方はこの記事をここで閉じて頂き、他の記事をお楽しみ頂けますと幸いです。
いつも最後に書いている本日の出費も、今日は先に書いておきます。
本日の出費(4000KHR ≒ 1.0USD)
- 街の中心部からプノン・サンポーまでのトゥクトゥク代金(往復+下山までの待ち時間1時間含む):13.0USD
- 入場料:2.0USD
- 山でのモーターバイク:3.0USD
- 携帯チャージ:1.0USD
- ティッシュ6個入り:3500KHR
- ファンタ:2000KHR
- 水(1.5L×6本):7500KHR
- お昼にパン2個:5000KHR
- 水(500ml):500KHR
- スーパーでの買い物:
- パン2個(1個 0.8USD):1.6USD
- カットスイカ:0.9USD
- カットドラゴンフルーツ:0.55USD
外に出るとお金が嵩みますね…。
プノン・サンポ―
バッタンバン市内から約25km、中心部からトゥクトゥクで30分走った場所に、「Phnom Sampov Temple」という寺院があります。
(プノン・サンパウとプノン・サンポ―と、どちらの表記が正しいのか分かりませんが、とりあえず本記事はサンポーで統一します。)
どこまでも続く田園風景を抜けると…
見えてきました。写真右部にある山です。
頂上に見える出っ張りがお寺。
麓で2ドルの入場料を払います。
トゥクトゥクから降りた瞬間にバイクタクシーのガイドさんに捕まりました。
足で登って回ると約2時間。バイクなら1時間だそうです。
1人で黙々と登るのも寂しかったので、今回はバイクで行かせてもらうことにしました。見晴台→キリングケイブ→頂上で3ドルです。
見晴台
バイクで登ること5分。見晴台に着きました。
道中、バイクタクシーのおじさんは、自分が乗っているHONDAのバイクを絶賛していました。
「HONDAはね〜、HONDA Dream もHONDA Cliqもあるけど、やっぱりHONDAが一番いいわ〜」とのことです。
こちらでは20〜29万くらいで買えるそうです。
写真は見晴台から見た景色。写真中央に走る道は、お寺に続いているんだそう(5つのお寺と言っていましたがなんというお寺なんだろう)。
山の頂上
猿たちがいる道を抜けていくと、山頂の寺院に到着。
建物に遮られることなく、どこまでも続く田園風景は本当に美しかったです。
山の多い日本ではなかなか見られない景色です。
阿呆みたいな感想ですが、普段自分の見ている世界なんて、本当に狭くてちっぽけで、世界は見きれないほど広いんだなあ……と感じます。
しかし、いかんせん柵がせこすぎて怖いです。
Killing Cave
キリング・ケイブの近くにも、お寺がありました。このお寺も内戦当時は収容所に使用されたそうです。
内戦時代には、約1万人がここで殺され、キリング・ケイブに投げ込まれたといいます。
降りていく階段から見るとこのような感じです。写真では見えませんが、右と左に遺骨が納められています。中央には、お釈迦様の像が2体(一体は座像、一体は寝像)ありました。
下まで階段で行くことができます。写真は、下から見上げた角度。
遺骨が入っている堂は開けられていて、間近で見ることができました。頭蓋骨に不自然に穴があいているものや、干からびた黒い皮膚が残っているものもありました。
たくさんの遺骨を前に、かつてこの骨を持っていた一人ひとりが生きていて、ここで殺されて穴に落とされたという事実を、私は想像しきることができませんでした。想像するのが怖くて、逃げているだけかもしれませんが、本当にあったこととして、受け止め切れない感じがしました。
殺された方の人数からしたら、このお堂には入れられずに、この穴に眠っている遺骨はもっとずっとたくさんあるのだと思います。
このような場所に来ると、自分が想像したり、その痛みを感じたりできないくらいに遠く感じてしまうことを、それでも二度と繰り返さないために、私は何ができるんだろうと、いつも思います。
ちなみに、キリング・ケイブの出口付近には地獄絵図像があります。これは内戦時代の光景ではなくて、仏教の教訓を表しているのだそうです。
バリ語やサンスクリット語で書かれたお話だから、英語では自分はうまく説明できないんだよなあ…と、バイクタクシーのおじさん。
ぐるっと回ってちょうど1時間で下山しました。
5時〜6時にはコウモリが一気に飛び立つ様子を見ることができます。コウモリを椅子に座って待っている方がたくさんいらっしゃいました。
麓にはお店もたくさんあります。プノン・サンポーに行く際には、16時前に来て山をバイクで回り(足で回るのならもう1時間半くらい前に来たほうがよさそうです)、下山してお店でのんびりコウモリの鑑賞をするとちょうど良さそうです。
私はコウモリはいいかな〜と思って、帰宅しました。